秋場所3日目の取り組みを見て、朝青龍の反応のよさに気をよくしていたのだが、一夜明け、スポーツ紙を見たら、立会いの「変化」を非難する記事がいくつかあって驚いた。相撲協会にも視聴者から抗議電話が数本あったらしい。
目にした中で最も厳しいのは、中日スポーツの「わたしは見た」という作家・高橋治氏のコラム記事。「平幕相手に、2日間調子のよさそうな横綱がこんな変化をするなど相撲界の恥辱だ。大怪我をしていて途中から休場もやむないぐらいの状態にあるか、それでないなら、引退させるべきだ」と鼻息も荒い。だいたい、この作家は朝青龍に異様に厳しく、例のサッカー騒動のときには「自ら髷を切れ」と言っていたし、今年の初場所で朝青龍戦で安美錦が膝を痛めたときには、「危険な技をかけた上、倒れた相手を気遣うこともない」と、罵っていた(実際には、朝青龍は技をかけたというより押し倒したのだし、足を抱えて苦しんでいる安美錦に気づいて様子を見に戻るのだが)。
ま、ともかく、高橋治氏は「引退に価する」ほど昨日の雅山に対する朝青龍の立会いが気に入らないという。
一方、解説の北の富士さんは、「変化?雅山は張られて目もつむっちゃってるし、重心くずれてるよね。朝青龍は左のマワシをとりにいったんだけど、その前に崩れちゃったんでしょ」とアッサリしたものだ。同じようなことは、日刊スポーツの「大鵬が斬る!土評」で、大鵬さんも書いていて、こちらは変化のへの字もなく、「張られてバランスを崩すような状態で、元大関が横綱と対戦していいのか。しこやすり足をもっとしてほしい」とむしろ雅山に厳しい注文をつけている。
こういう問題に正解はないし、技を見る目の違いにも関連するだろうから、昨日の朝青龍の立会いについてではないのだが、私自身は「立会いの変化」を悪くいう傾向に反対である。
5月場所で東関親方が引退したとき、親方からの教えを大切にして、高見盛が「お客さんが喜ぶ相撲を取る。変化はしない」ことを信条にしていることを知った。さらに、豊ノ島(私は結構、贔屓にしている)まで、これは東関親方とは関係ないのだが、「引退するときに、変化はしませんでしたと胸を張りたい」とかで、変化を封じているのだという。
体重がない高見盛、身長のない豊ノ島の二人がよりにもよって変化を自ら封じ、しかもそれを公言するなど、愚の骨頂と思う。特にまだ20台前半なのに、含蓄もあり一筋縄でいかない力士の雰囲気のある豊ノ島には小さいことにこだわるなと言いたい。むしろ、変化ぐらいは効果的に織り込んで、何をするかわからない、したたかな勝負師として脱皮してほしいとさえ思う。
言うまでもないが、変化の威力を最も強調する解説者は、小兵力士だった舞の海さんだ。立会いで変化した後の流れも通常の相撲とは違う工夫がいるから、頭脳相撲が要求されると舞い海さんは言う。立会いの変化一発で決めるには度胸がいるし、それで決まらなかったときはどう展開するか、セオリー通りにはいかない相撲になりそうだ。それに力士同士の心理戦というか駆け引きも面白い。
さらに、相撲ファンとして一番期待したいのは、闇雲にぶちかますことがよいという「猛進立会い至上主義」に待ったをかけることだ。がむしゃらにぶつかる立会いを毎日やったりしたら、身体がガタガタになってしまう。力士生命を延ばすためにも、変化をうまく取り入れてほしい。
だから、5月場所に日馬富士が稀勢の里に変化気味の相撲で勝ったことなど、私はよくやったと思った。
確かに、変化に頼る相撲で大成した力士はいないのだろうが(今、清瀬海は変化を相撲界で認められる技にすると頑張っているらしいが)、変化は力士の取り口の幅を広げる技だと思う。安美錦の変化の頻度や出し方をみると、「やるもんだわい」と思いませんか?
全力士が1年で5回まで変化してよい、というルールとか、変化されたらその後1年間のうちに変化をし返さなくてはならないというルールにしたら面白いのじゃないかとすら思う。
こんなことを思うなんて、やっぱり私は「礼節ある相撲」からは遠いファンなんでしょうね。


by taipeichan
充電を始めたような朝青龍